2024年6月8日、土曜日の休日夫と近所の山でハイキング中、転んで右足首を骨折しました。転んだ瞬間、パキッという音が聞こえ、あまりの痛みに足首を掴んで、しゃがみそのまま動けなくなりました。隣にいた夫に支えてもらって、立ち上がった瞬間、脳天まで痛みがかけぬけ、冷や汗と吐気、血の気が引き、崩れるように地面に倒れこんだのです。
歩こうにも歩けない 立てないのです
これは、マズイ事になった。ハイキングとは言え、片道40分の山道。夫が私を背負って下山すると言って、背中に背負って山道を下るが、休み休み20分程で、私が限界に達しました。夫にしがみつく力がないのです。
このままでは、日が暮れても下山出来そうにありません。私は、夫に頼み消防署に救助要請をお願いしました。携帯のGPSから位置を確認し、救急隊と連絡をとります。私はその場に残り、夫が救急隊の案内のため、分岐場所まで移動することに。1人ヘッドライトと携帯を握りしめて、救助を待ちます。辺りはどんどん暗くなってきました。
救助要請から1時間程で夫の先導のもと約10名程の救急隊員がかけつけてくれました。
安堵の気持ちより、私の不注意でこんなにも大勢の方に迷惑をかけたことが申し訳なく、情け無くて消えてしまいたかったです。
ソリのようなタンカに乗せられ、寝た状態で身体を固定され、土や草が目に入らないようにゴーグルをかけてもらい、すっかり暗くなった山道を滑らすように、場所によっては、担ぎ上げて細くて険しい山道を1時間程かけて、ゆっくり安全に降ろしてくれました。足首は、どんどん腫れてきましたが、情けなさと申し訳なさで痛みは全く感じませんでした。
登山口には、救急車が待機してあり、夫共々、救急隊の方々にお礼とお詫びを伝え、救急車に乗せられ、病院にはこばれました。
救急車の中で、息子のような若い救急隊員の方に、大丈夫ですか?痛いですよね。もう少しで病院に着きますからと優しい言葉をかけてもらい、ご迷惑をおかけしてすみません、ありがとうございます。としか返す言葉がない私でした。
救急病院に運ばれる
病院にはこばれ、すぐにレントゲンをとり、右足首が脛骨と腓骨の2ヶ所骨折していることが分かりました。応急処置のギブスをしていただき、そのまま入院となりました。ハイキング用の服のまま、おむつを装着され、お昼ご飯を食べたきりのまま、何の準備もないまま、病室で眠れぬ夜を過ごしたのです。
翌日、温かいおしぼりで汚れた顔や身体をふき、ベッド上で朝ごはんをいただき、お茶を飲んでやっと一息つきました。山中で飲んだ水以来の食べ物でした。右足が腫れていると手術が出来ないので、絶対安静で右足を高くして、骨折した骨が開かないように大人しく寝てる事しか出来ません。トイレにも行けず、おむつでの生活は、想像以上に恥ずかしく、出るものが全く出ない状態でした。
面会の時間に夫が入院に必要なモノを持ってきてくれ、夫に手伝ってもらいながら、汗と転んだ時の土汚れの服をやっと着替えられました。色々話したいことやお願いしたいことがあったんですが、面会時間の15分があっという間に過ぎ、又眠れない昼夜を過ごすことになりました。
月曜日になり、より詳しく状態をみるため、レントゲンとCTをとりました。手術に備えて、血液検査、心電図、エコーなどベッドに寝たままあちこちに連れられ検査しました。
夫が仕事を早退してくれ、夫婦2人でお医者様から、詳しい骨折の状態とこれからの治療、手術日、入院期間を伺いました。思った以上に重症で、脛骨、腓骨以外にかかとのほうの骨の3ヶ所骨折している事が分かりました。入院も1ヶ月と長く、職場に迷惑をかけるなぁと落ち込みました。
手術は水曜日の午後1時に決まりました。
手術前日の火曜日、PT(理学療法士)の先生より車椅子の乗り方を教わり、一緒にトイレにて、左足で立ち上がり、手すりを持って便器に座るという動作を練習しました。
これで、おむつから解放です。
入院4日目やっとシャワーを浴びる
手術前日、お風呂に入る許可が出ました。
右足のギブスの上からビニール袋を被せ、膝の辺りでガムテープでとめる方法で濡れないようにしてくれ入りました。車椅子で特殊浴槽なる場所に連れていかれ、介助の方に手伝ってもらいながら服を脱ぎ、シャワー椅子に座らせてもらい身体を洗いました。隣りでは、寝たきりの方のお風呂の介助をされていました。
自分が骨折で動けなくなり、手伝ってもらわないと何も出来なくなって、なんとも言えない羞恥心や、自尊心が傷ついて…。
これから施設にお世話になる義母のことを考えると胸が痛くなる私でした。
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整理収納アドバイザー 寺岡麻帆